前回の学問所通信では、ビタミンAとビタミンDの発見の歴史についてご説明しました。
今回はビタミンC、ビタミンBについてです。
ビタミンCやビタミンBは水溶性ビタミンに分類されます。
脂溶性であるビタミンAやビタミンD(そして、K、E)と違い
水溶性ビタミンは、過剰摂取しても、尿として排出され、過剰症はほとんどないといわれています。
その代わり、不足すると、深刻な病気を引き起こす可能性が高くなります。
世界の歴史で、数多くの犠牲者をだした「壊血病」
この壊血病を引き起こす原因が「ビタミンCの欠乏」でした。
実は私たちヒトはビタミンCを体内で合成できません。
ですが、ネズミはビタミンCを体内で生合成することができます。
しかもストレスをうけると体内でのビタミンC合成速度は高まるそうです。
壊血病は船乗りや冒険家たちに多くみられた病気です。
穀物庫に潜んでいたネズミを捕まえて食べれば、壊血病は防げたのかもしれませんね(笑)
冗談はさておき、
ビタミンAとビタミンDの発見に大きく貢献したマッカラム。
彼は幼いころ、壊血病にかかります。
マッカラムの母親は、リンゴの皮や野菜、イチゴジュースを彼に与えます。
彼の壊血病は見事に治ってしまいます。
この経験が彼のビタミン発見の原動力になっていたのかもしれませんね。
しかし、面白い事に、マッカラムは自分の病気を治癒させた「ビタミンC」の
発見については、完全に後手に回ってしまいます。
マッカラムはネズミを動物実験に初めて使いました。
前回の学問所通信にも書いた通りです。
しかしながらネズミは、ビタミンCを体内で合成できるため、どんな実験をしても
壊血病にはかからなかったのです。
(ビタミンCはグルコースとガラクトースから合成されます)
マッカラムはこのことを知りませんでした。とっても残念なことです。
ビタミンCの発見にまず大きく貢献したのは、アクセル・ホルストです。
ノルウェーの細菌学者です。
彼はネズミが病原菌を持っているかもしれないということと、噛まれるのがいやだという理由で、
モルモットを使います。
ネズミとモルモット。
同じネズミ目で似ているようなのですが、決定的な違いは、モルモットはビタミンCを体内で合成できないということです。
ホルストがモルモットを選んだのは偶然でした。
モルモットは、なにかの因子を欠乏させると、人間と同じように壊血病を起こしました。
そして、レモンやリンゴなどを与えると回復しました。
彼の実験は財政難で中断してしまいますが、壊血病を治癒する因子を発見するにはモルモットが適していることを示しました。
1918年 エール大学のメンデルは、マッカラムが見つけた脂溶性A因子(ビタミンA)と水溶性B因子(ビタミンB1)をモルモットに与えても、壊血病が起こることを示します。
英国のドラモントが、なにか別に抗壊血病因子が存在するとし、「水溶性C因子」と名付けます。
もちろんマッカラムは大反対をします。
ちなみにドラモントはフンクが提唱していた「ビタミン」という呼び方を採用して、提案しました。
これ以降ビタミンA、ビタミンB、ビタミンCといった呼び方が広まります。
マッカラムによって名付けられた脂溶性A因子、脂溶性D因子、水溶性B因子、そしてドラモンドが名付けた水溶性C因子は、やがてビタミンと呼称が統一されます。
ポーランド出身の化学者フンクが命名しました。
1912年に彼は、微量栄養素を総称して「ビタミン」(Vitamine)と呼びます。
「生命に必須なアミン類」(Vital Amine)
からの造語です。
やがて、末尾のeがとれ、「Vitamin」という呼称が定着しました。
「水溶性C因子」は、ビタミンCと呼ばれるようになりました。
その後
ツェルバにより、ビタミンCを含む成分の濃縮に成功しました。
チャールズ・キングは、ビタミンCがブドウ糖ほどの低分子化合物であることを突き止めます。
世界各地でビタミンC発見競争が繰り広げられますが、まだまだ発見にはいたっていません。
「栄養学を拓いた巨人たち」(講談社)の著者、杉晴夫氏によると、
栄養学上でビタミンなどの微量栄養素の発見は
1)ある飼料(食事)が、実験動物(人間)の健康に【害】があることを発見する。
2)その飼料(食事)に新たにある食物をつけ加えると、動物(人間)が健康を取り戻す。
3)新たにつけ加えた食物中に未知の栄養素があることを【指摘】する
4)この未知の栄養素を食物から単離し、科学的性質を明らかにする
5)さらにこの栄養素の化学構造を決定(同定)し、化学的合成を可能にする
という段階が必要になります。
ビタミンCの話では、この4)と5)の段階の競争が世界で繰り広げられていました。
答えからいいますと(笑)
ビタミンCを発見したのは、セント・ジェルジです。
彼のビタミンC発見は、「過酸化酵素」の存在に注目することから始まります。
ベンジジンという無色の物質があります。
このベンジジンは酸化されると濃青色になります。
このベンジジン溶液をレモンジュースに添加すると、
濃青色になるまでに遅れがでることに気づきます。
ジェルジはレモンジュースの中に酸化を遅らせる物質(還元物質)が存在すると考えました。
ヒトは副腎の機能が衰えると、顔が青色になります。「アジソン病」
副腎の機能が低下して、必要なホルモンの分泌がなくなるために置きます。
彼はこれも酸化ととらえ、正常な副腎の中に、還元物質があるのではないかと考えました。
そして、牛の副腎のしぼり汁にベンジジンを垂らしてみます。
予想どおりです。
ベンジジンが酸化されるのは抑制されました。
彼は副腎からこの還元物質を取り出すことに成功します。
1926年に結果を論文として発表します。
彼はこの物質に「ヘキスウロン酸」と名付けます。
1930年ごろ、米国のチャールズ・グレン・キング(1896-1988)のもとでビタミンC単離を研究していたスワーベリという若者がジェルジを訪問します。
ジェルジは彼に、ヘキスウロン酸に壊血病の予防・治療効果があることを調べてほしいと依頼します。
そしてヘキスウロン酸を1日1mg、動物に与えると、壊血病を予防できることが確認されます。
「ヘキスウロン酸」が「ビタミンC」そのものだったのです。
彼はビタミンに興味がなかったので、すぐにはそれに気づきませんでした。
ジェルジェとスワーベリーは1932年に連名で論文を「ネイチャー」誌に発表します。
ジェルジェはヘキスウロン酸を「アスコルビン酸」と改めます。
そして、1932年から1933年にかけて、アスコルビン酸の構造決定と合成にも成功します。
1937年、セント・ジェルジェはノーベル賞を受賞します。
スワーベリがなにかお知らせしてしまったのかもしれません。
キングは急きょ論文を書き上げたようです。
ノーベル賞はキングではなくジェルジェに贈られました。 ノーベル賞自体が欧州優先だったことや
いろいろな憶測がされています。
ネズミでは、グルコース代謝のウロン酸経路中の中間体としてアスコルビン酸を合成します。
ヒトではこの経路中のグロノラクトンオキシターゼという酵素が欠損しているためグルコースはアスコルビン酸になれません。
なんか惜しいですね。遺伝子組換えてこの酵素ができるようにしたら、どんなにすばらしいでしょう(笑)
ビタミンCは抗酸化作用があるとこからもわかる通り、還元剤や酸素ラジカル消去剤として働きます。
ちなみに、がん細胞はグルコースのみをエネルギーとして増殖するのが知られています。
高濃度ビタミンC点滴とケトン食(低グルコース・高脂肪食)でがんを治療する方法が
注目を集め始めています。
がん細胞はグルコースが不足しているため、ビタミンCを間違えて取り込みます。
しかし、増殖のためのエネルギーにはできず、ビタミンCの強い抗酸化力でがん細胞は死滅してしまうという原理です。
ビタミンCは、副腎髄質と中枢神経系において、チロシンからのカテコールアミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの合成にも重要です。
ビタミンCの欠乏の兆候としては、皮膚の変化、毛細血管が弱くなる、歯肉の崩壊、歯の脱落、骨折、コラーゲン合成不足が挙げられます。
ビタミンCは腸管において、鉄の吸収を促進することが知られています。