これまでに脂溶性ビタミンのビタミンAとビタミンD、そして水溶性ビタミンCとビタミンB1
の発見の歴史についてみてきました。
ビタミンAは夜盲症
ビタミンCは壊血病
ビタミンDはくる病
ビタミンB1は脚気
人々を悩ませてきた難病の原因が特定されてきました。
そして、もうひとつ難病とされていたものに「ペラグラ」があります
この難病に取り組んだのは、ジョセフ・ゴールドバーガーでした。
彼はペラグラを治療に有効な成分を「P-P因子」と名付けました。
「P-P因子」は結論からゆうと水溶性ビタミンの複合体でした。
マッカラムが水溶性因子Bと呼んだものです。
ですが、マッカラムは水溶性因子Bはひとつの物質であると考えていました。
この物質が、「トリの多発神経炎」と「ラットの成長」に重要であり、
抽出の過程で同じだったからです。
※トリの多発神経炎はヒトの脚気と同じです。
これは大きな間違いでした。
アメリカの生化学者ミッチェルはこれに疑いをもった一人です。
多発神経炎と成長が野菜によって異なっていたからです。
1919年 オズボーンは抗多発神経炎因子は熱で不活性化され、
成長因子は影響されないことを発見します。
抗多発神経炎因子はすでにビタミンB1として同定されていました。
そして、成長因子にビタミンB2と名付けました。
1928年 ロンドン・リスター研究所の女性化学者チックは、
制限食餌をして様々な症状を引き起こしていたラットに、
ビタミンB2を与えることで、症状が改善するのを確認しました。
1933年 コロンビア大学のこれまた女性科学者ブーハーはミルクの上澄みである乳清から黄色い物質を抽出し精製しました。これは、すでにラクトクロームと名付けられていたものでした。
このラクトクロームがビタミンB2そのものでした。
ビタミンB2が多く排泄されると尿が黄色くみえるのは、ビタミンB2が黄色いからです。
その後、ドイツの化学者クーンとチューリッヒのカラーが
ビタミンB2の構造決定と合成に同時成功します。
ビタミンB2は「リボフラビン」と名付けられました。
リボフラビンは補酵素である
・フラビンモノヌクレオチド flavin mononucleotide (FMN)
・フラビンアデニンジヌクレオチド flavin adenine dinuckeotide (FAD)
の活性部分となります。
リボフラビンがリン酸化することでFMNになります。FMNにATP分子のAMP部分が転移することで、FADになります。
FADはアセチルCoAがミトコンドリア内のクエン酸回路、電子伝達系でエネルギーであるATPを生成するのに必要な補酵素となります。
下図2は、エネルギー生産経路において、どんなビタミンがどこで必要となるか解説しています。
ビタミンB2は脂肪酸をアセチルCoAに変換するために、特に必要な補酵素となります。脂肪燃焼にかかせませんね。
ビタミンB2は、牛豚鶏のレバー、ハツに多く含まれています。
胃酸分泌の弱い人や減塩をしていると、ビタミンB2の吸収がうまく運ばないことがあります。
ですが、ビタミンB2は体内で効率よく保存されており、欠乏しても致死的にはならないとされています。欠乏すると口唇炎、舌表皮の剥離と炎症、脂漏皮膚炎といった症状が現れます。
唇や口内、皮膚に違和感があるときはビタミンB2不足かもしれませんね。
さらにビタミンB2は「発育ビタミン」と呼ばれ。小さなお子さんには欠かせない栄養素です。
またビタミンB2は体内で発生してしまった「過酸化脂質」の分解もおこないます。
素晴らしいですね♪
1914年ごろには、ゴールドバーガーらの研究者が、
イヌの黒舌病を治す物質を肝臓から取り出しました。
これはヒトのペラグラにもある程度有効でした。
ゴールドバーガーはP-P因子という言葉を残し、ガンで他界します。
その後、1937年に同定が完結するのですが、
この物質は単純な構造のニコチン酸でした。
ニコチン酸は1867年にはよく知られていた物質で、タバコのニコチンを酸化することとで得られていました。ビタミンという呼称の命名者であるフンクは、米ぬかから大量のニコチン酸を結晶として取り出していました。
フンクと脚気を研究を競った鈴木梅太郎も、ニコチン酸を同定していました。
しかしながら、これらがトリ多発神経炎の治療効果がなかったため、失望してしまいました。
1935年 ドイツの生化学者ヴァルブルグは、ニコチン酸がすべての動物に存在し、
重要な酵素となることを示しました。
アメリカのエルヴィーエムはこれが、ペラグラの治療に有効であることを示しました。
ニコチン酸は容易に合成でき、安いため、急速に流通します。
パンやパスタに添加され、アメリカからペラグラを一層しました。
ビタミンB3は正確に言うとビタミンではありません。
人間はニコチンを酸化して、ニコチン酸を作ることはできません。
しかしながら、体内で必須アミノ酸であるトリプトファンから合成することができます。
そのため、ビタミンB3という呼び名は用いられなくなり、ニコチン酸やニコチンアミドを一般的に「ナイアシン」と呼ぶようになりました。
ナイアシンは図2でも確認できるように、代謝のあらゆる場面で必要な栄養素です。
ナイアシンはニコチンアミドジヌクレオチド(NAD)となり、エネルギー生成に必要な補酵素として働きます。
ナイアシンは食品の多くに含まれているので、不足することは通常ありません。
過剰になると、顔面紅潮症と皮膚過敏症を引き起こします。
「ナイアシン フラッシュ」で検索してみてください。
最悪の場合肝障害を引き起こす可能性もあります。
悪性貧血症の治療に、鋼鉄のくずをワインに漬けたものが使用され、ある程度の効果を上げていました。
18世紀にはすでに、血液中に鉄が含まれていることが分かっていたのです。
この問題に科学的に取り組んだのが、米国人内科医 ウイリアム・P・マーフィでした。彼は、症状は重篤だが病状が横ばいを続けている悪性貧血患者が、「生の肝臓」を食べていることを発見します。
この話を知ったアメリカの医学者ジョージ・H・ウィップル(1878-1976)はイヌを貧血にし、さまざまな餌を与えて観察したところ、動物の肝臓や腎臓を与えると、赤血球濃度が回復することを確認します。
またマーフィと米国人医師ジョージ・リチャーズ・マイノット(1885-1950)は
悪性貧血で死亡した患者の骨髄を調べると、そこに未成熟の赤血球が充満していることを発見します。
なにかが足りなかったために、成熟した赤血球になれず、血液中に赤血球が放出されるのが妨げられていたのです。
悪性貧血患者に動物の生の肝臓を与えると、血液中の赤血球が増加するのが観察されました。
マーフィとマイノットは貧血に有効な肝臓抽出物の作成にも成功します。
その後、研究者たちにより、肝臓中の抗貧血因子が結晶化され、構造が決定されました。
それがビタミンB12です。
この業績により、マーフィとマイノットそして、ウィップルは1934年に仲良く?ノーベル賞を受賞します。めでたく、米国人のノーベル賞受賞となりました。
ビタミンB12は図の上部の中央にコバルト(Co)を含有しています。それを環のように囲っています。これをコリン環をもつコバルト含有化合物コリノイド(corrinoid)と呼びます。
ビタミンB12は基本的には動物性食品からしか摂取できません。
反芻動物である牛などでは、体内(第一ルーメン)の腸内細菌がビタミンB12を生成します。
牛は草や土を食べることでミネラルも吸収します。それによって、腸内細菌はコバルトというミネラルを含有するビタミンを生成します。
動物はこのビタミンB12を肝臓、腎臓、脳みそに保管します。
ヒトにおいても腸内細菌が大腸でビタミンB12を産出します。量も少なく吸収もできないことから、期待はできません。
ビタミンB12はホモシステインの代謝にも重要です。ホモシステインがメチオニンになるために、
葉酸とビタミンB12が必要です。ビタミンB12が不足し、ホモシステインが蓄積してしまうと、動脈硬化の原因になるとされています。
ちなみに植物性食品にはビタミンB12はほとんど含まれません。また含まれていたとしても多くが不活性型(類似品!)です。
そのため、ヴィーガンや菜食主義者は、ミルクや卵などからビタミンB12を摂取する必要があります。
次回は、脂溶性因子であるビタミンEとK、ビタミンB6、ビタミンB5、ビタミンB7、ビタミンB9をみていきたいと思います。
これでビタミン最後です(笑)