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学問所通信 特集コーナー

第31回 栄養学の歴史 ~その4 いよいよビタミンC偏~

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学問所通信 特集コーナー
第31回 栄養学の歴史 ~その4 いよいよビタミンC偏~
第31回 栄養学の歴史 ~その4 いよいよビタミンC偏~

前回の学問所通信では、ビタミンAとビタミンDの発見の歴史についてご説明しました。

今回はビタミンC、ビタミンBについてです。

ビタミンCやビタミンBは水溶性ビタミンに分類されます。

脂溶性であるビタミンAやビタミンD(そして、K、E)と違い
水溶性ビタミンは、過剰摂取しても、尿として排出され、過剰症はほとんどないといわれています。
その代わり、不足すると、深刻な病気を引き起こす可能性が高くなります。

世界の歴史で、数多くの犠牲者をだした「壊血病」
この壊血病を引き起こす原因が「ビタミンCの欠乏」でした。

実は私たちヒトはビタミンCを体内で合成できません。

ですが、ネズミはビタミンCを体内で生合成することができます。
しかもストレスをうけると体内でのビタミンC合成速度は高まるそうです。

壊血病は船乗りや冒険家たちに多くみられた病気です。
穀物庫に潜んでいたネズミを捕まえて食べれば、壊血病は防げたのかもしれませんね(笑)


ビタミンCの発見の歴史

マッカラム残念!

冗談はさておき、

ビタミンAとビタミンDの発見に大きく貢献したマッカラム。

彼は幼いころ、壊血病にかかります。

マッカラムの母親は、リンゴの皮や野菜、イチゴジュースを彼に与えます。
彼の壊血病は見事に治ってしまいます。

この経験が彼のビタミン発見の原動力になっていたのかもしれませんね。

しかし、面白い事に、マッカラムは自分の病気を治癒させた「ビタミンC」の
発見については、完全に後手に回ってしまいます。

マッカラムはネズミを動物実験に初めて使いました。
前回の学問所通信にも書いた通りです。

しかしながらネズミは、ビタミンCを体内で合成できるため、どんな実験をしても
壊血病にはかからなかったのです。
(ビタミンCはグルコースとガラクトースから合成されます)

マッカラムはこのことを知りませんでした。とっても残念なことです。


ビタミンCの発見にまず大きく貢献したのは、アクセル・ホルストです。
ノルウェーの細菌学者です。

彼はネズミが病原菌を持っているかもしれないということと、噛まれるのがいやだという理由で、
モルモットを使います。

ネズミとモルモット。

同じネズミ目で似ているようなのですが、決定的な違いは、モルモットはビタミンCを体内で合成できないということです。

ホルストがモルモットを選んだのは偶然でした。

モルモットは、なにかの因子を欠乏させると、人間と同じように壊血病を起こしました。
そして、レモンやリンゴなどを与えると回復しました。

彼の実験は財政難で中断してしまいますが、壊血病を治癒する因子を発見するにはモルモットが適していることを示しました。

ビタミンC発見競争の加速

1918年 エール大学のメンデルは、マッカラムが見つけた脂溶性A因子(ビタミンA)と水溶性B因子(ビタミンB1)をモルモットに与えても、壊血病が起こることを示します。

英国のドラモントが、なにか別に抗壊血病因子が存在するとし、「水溶性C因子」と名付けます。

もちろんマッカラムは大反対をします。

ちなみにドラモントはフンクが提唱していた「ビタミン」という呼び方を採用して、提案しました。
これ以降ビタミンA、ビタミンB、ビタミンCといった呼び方が広まります。




ビタミン(Vitamine)

マッカラムによって名付けられた脂溶性A因子、脂溶性D因子、水溶性B因子、そしてドラモンドが名付けた水溶性C因子は、やがてビタミンと呼称が統一されます。

ポーランド出身の化学者フンクが命名しました。

1912年に彼は、微量栄養素を総称して「ビタミン」(Vitamine)と呼びます。

「生命に必須なアミン類」(Vital Amine)
からの造語です。

やがて、末尾のeがとれ、「Vitamin」という呼称が定着しました。

「水溶性C因子」は、ビタミンCと呼ばれるようになりました。

その後
ツェルバにより、ビタミンCを含む成分の濃縮に成功しました。
チャールズ・キングは、ビタミンCがブドウ糖ほどの低分子化合物であることを突き止めます。

世界各地でビタミンC発見競争が繰り広げられますが、まだまだ発見にはいたっていません。




ビタミンの発見にいたるまで

「栄養学を拓いた巨人たち」(講談社)の著者、杉晴夫氏によると、

栄養学上でビタミンなどの微量栄養素の発見は
1)ある飼料(食事)が、実験動物(人間)の健康に【害】があることを発見する。
2)その飼料(食事)に新たにある食物をつけ加えると、動物(人間)が健康を取り戻す。
3)新たにつけ加えた食物中に未知の栄養素があることを【指摘】する
4)この未知の栄養素を食物から単離し、科学的性質を明らかにする
5)さらにこの栄養素の化学構造を決定(同定)し、化学的合成を可能にする
という段階が必要になります。

ビタミンCの話では、この4)と5)の段階の競争が世界で繰り広げられていました。

いよいよビタミンC発見

答えからいいますと(笑)
ビタミンCを発見したのは、セント・ジェルジです。

彼のビタミンC発見は、「過酸化酵素」の存在に注目することから始まります。

ベンジジンという無色の物質があります。

このベンジジンは酸化されると濃青色になります。

このベンジジン溶液をレモンジュースに添加すると、
濃青色になるまでに遅れがでることに気づきます。

ジェルジはレモンジュースの中に酸化を遅らせる物質(還元物質)が存在すると考えました。

ヒトは副腎の機能が衰えると、顔が青色になります。「アジソン病」
副腎の機能が低下して、必要なホルモンの分泌がなくなるために置きます。

彼はこれも酸化ととらえ、正常な副腎の中に、還元物質があるのではないかと考えました。
そして、牛の副腎のしぼり汁にベンジジンを垂らしてみます。

予想どおりです。

ベンジジンが酸化されるのは抑制されました。

彼は副腎からこの還元物質を取り出すことに成功します。
1926年に結果を論文として発表します。

彼はこの物質に「ヘキスウロン酸」と名付けます。


1930年ごろ、米国のチャールズ・グレン・キング(1896-1988)のもとでビタミンC単離を研究していたスワーベリという若者がジェルジを訪問します。
ジェルジは彼に、ヘキスウロン酸に壊血病の予防・治療効果があることを調べてほしいと依頼します。

そしてヘキスウロン酸を1日1mg、動物に与えると、壊血病を予防できることが確認されます。
「ヘキスウロン酸」が「ビタミンC」そのものだったのです。
彼はビタミンに興味がなかったので、すぐにはそれに気づきませんでした。

ジェルジェとスワーベリーは1932年に連名で論文を「ネイチャー」誌に発表します。
ジェルジェはヘキスウロン酸を「アスコルビン酸」と改めます。
そして、1932年から1933年にかけて、アスコルビン酸の構造決定と合成にも成功します。

1937年、セント・ジェルジェはノーベル賞を受賞します。



敗れたひと

スワーベリが元所属していた米国のキングは「ビタミンC発見」という論文を「サイエンス」誌に投稿します。

なんと、セント・ジェルジェの論文の2週間前!です。
キングも「ヘキスウロン酸がビタミンCではないか」と疑っていました。

スワーベリがなにかお知らせしてしまったのかもしれません。
キングは急きょ論文を書き上げたようです。

ノーベル賞はキングではなくジェルジェに贈られました。 ノーベル賞自体が欧州優先だったことや
いろいろな憶測がされています。



ビタミンCとは

ジェルジェによって発見されたビタミンC(別名アスコルビン酸)は、上記で触れたように、ヒトの体内では合成できません。

ネズミの体内では、グルコースやガラクトースから合成されます。
アスコルビン酸の形をみると、グルコースやガラクトースにそっくりなのがわかりますね。

ネズミでは、グルコース代謝のウロン酸経路中の中間体としてアスコルビン酸を合成します。
ヒトではこの経路中のグロノラクトンオキシターゼという酵素が欠損しているためグルコースはアスコルビン酸になれません。

なんか惜しいですね。遺伝子組換えてこの酵素ができるようにしたら、どんなにすばらしいでしょう(笑)

ビタミンCは抗酸化作用があるとこからもわかる通り、還元剤や酸素ラジカル消去剤として働きます。

ちなみに、がん細胞はグルコースのみをエネルギーとして増殖するのが知られています。
高濃度ビタミンC点滴とケトン食(低グルコース・高脂肪食)でがんを治療する方法が
注目を集め始めています。
がん細胞はグルコースが不足しているため、ビタミンCを間違えて取り込みます。
しかし、増殖のためのエネルギーにはできず、ビタミンCの強い抗酸化力でがん細胞は死滅してしまうという原理です。

ビタミンCは、副腎髄質と中枢神経系において、チロシンからのカテコールアミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの合成にも重要です。

ビタミンCの欠乏の兆候としては、皮膚の変化、毛細血管が弱くなる、歯肉の崩壊、歯の脱落、骨折、コラーゲン合成不足が挙げられます。

ビタミンCは腸管において、鉄の吸収を促進することが知られています。



抗脚気因子ビタミンB1の発見

壊血病と同じく、人類を悩ませた病気に「脚気」がありました。
脚気はチアミン(サイアアミン、ビタミンB1)欠乏症としていられています。
白米を主食とする民族に多い病気とされています。

エイクマンとホプキンス

話は少しそれますが、
オランダの医師クリスティアーン・エイクマンとイギリスの生化学者フレデリック・ホプキンスは 1929年「ビタミンを発見した」としてノーベル生理学賞・医学賞を受賞しました。

エイクマンは「脚気を治す物質が米ぬかにあることを指摘」しました。
ホプキンスは「ラットの実験によりミルクに成長促進因子があること論文で発表」しました。
ただこれだけです。これ以上のことは何もしていません。

なのにこの二人にはノーベル賞が贈られました。

この時点で、米国人マッカラムはビタミンAとビタミンDの発見を成し遂げていました。
ですが、マッカラムはノーベル賞に選ばれませんでした。
「ノーベル賞は欧州人のもの」という暗黙のルールがあったからと言われています。

話がそれました。
エイクマンの研究を引き継いだグレインスは抗脚気因子が「亢神経炎因子」であることを指摘します。
マッカラムはこの因子を「水溶性B因子」と名付けます。



ビタミン(Vitamine)

抗脚気因子の研究におけるホプキンスのノーベル賞は、さまざまな批判がありました。ホプキンスは1906年に「動物はタンパク質、エネルギー、脂肪の混合物では生きることはできず、必要な無機物質を注意深く与えても動物は元気でいることができない」と述べました。
またホプキンスは「ビタミンは化学的な意味では性質がわかっていないが、単に仮説的なものではない」と主張します。

これはビタミンの存在を唱えたものです。

当時はまだどのビタミンも化学的に単離・同定されていませんでした。

医学界では「ビタミンなんて存在しない!」と信じられていました。
医学界だけでなく学者の多くもそう信じていたようです。
ある生理学専門家などは「(ビタミンなんて)未知の物質のラテン語の名前をつけてでっち
あげてる!」とまで言い切ります。

そんな状況の中でホプキンスの存在は、ビタミン探究者たちにとって
大きな支えとなったのかもしれませんね。

ちなみにホプキンスは1900年に20種類のアミノ酸のうちで、生体内における量が
もっとも少ない必須アミノ酸である「トリプトファン」を発見しています。

水溶性因子Bの単離と同定

微量栄養素の発見の最大の難関である、この因子の単離と同定に成功したのは
東京大学教授の鈴木梅太郎と前出のビタミン命名者フンクでした。


鈴木は米ぬかからこの因子の結晶をえることに成功し、
「オリザニン」と名付けます。

脚気のニワトリに給餌し、脚気の治療効果をしめします。
1912年、この結果をドイツ語の論文として発表します。
ただし、鈴木の得た結晶はいろいろなものの混合物でした。

フンクは同時期に、この因子の単離・結晶化に成功し、英語で論文を書きます。
この論文でかれは、「ビタミン」という呼称を使います。


彼は気性の激しい性格だったようで、本来引用すべきであった鈴木の論文を無視します。
それどころか、非難を浴びせます。

前述のエイクマンとホプキンスのノーベル賞にも強く抗議しています。

ですが、フンクも、この栄養素の化学構造を決定し、化学合成するにはいたりませんでした。

抗脚気因子であるビタミンB1は水溶性でかつ微量です。
化学技術も未発達で、これはとても困難なことでした。



ビタミンB1の発見

こうした困難を克服し、抗脚気因子を単離・同定してのは、米国の化学者ロバート・ウィリアムズです。

彼はフィリピンに学校教師として赴任しました。

現地の児童たちが脚気に苦しんでいるのをみて、抗脚気因子の発見に取り組みます。1910年のことです。
フィリピンで米ぬかのアルコール抽出物から抗脚気因子の発見に挑戦しました。5年の努力もむなしく、成果はほとんど上がりませんでした。

その後米国に帰国し、ベル電話研究所で科学部長となります。

その間20年以上にわたり、余暇を使って抗脚気因子の発見に取り組みます。

政府からの補助金などもなく、自宅のガレージで動物実験をしていました。
まもなくすると世界は大不況に入りました。
仕事が暇になり、ウィリアムズは研究時間に多くの時間を避けるようになりました。
コロンビア大学からの協力もあり、
1934年 ウィリアムズは抗脚気因子を大量に分離することに成功します。
それから3年かけて、その抗脚気因子の化学構造を決定し、合成することに成功しました。
抗脚気因子は「ビタミンB1」と呼ばれていますが、
ウィリアムズが命名した「チアミン(もしくはサイアミン)」という呼称が広く用いられています。



チアミンはとても複雑な形をしていますね。

エネルギー産生代謝、とくに糖質の代謝に重要な役割を果たしています。
チアミンには、リン酸が2つくっついた、チアミン二リン酸は補酵素となります。

ピルビン酸デヒドロゲナーゼ(糖質の代謝)
αーケトグルタル酸デヒドロゲナーゼ(クエン酸回路)
分岐ケト酸デヒドロゲナーゼ(ロイシン、イソロイシン、バリンの代謝)

などの酵素の補酵素となります。

ペントリースリン酸経路でのトランスケトラーゼの補酵素になります。
(カルバニオン)

3つのリン酸がくっついたチアミン三リン酸も重要です。
神経伝導に関係します。

チアミンが欠乏すると

・慢性末梢神経炎である脚気を引き起こします。心不全や浮腫を伴う場合があります。
・Korsakoff精神病を伴う、Wernicke脳症を引き起こします。アルコールと麻薬乱用に密接にかかわります。
・比較的高糖質食をするひとたちで、乳酸アシドーシスの原因となります。

チアミンは豚肉に多く含まれています。
水溶性なので、水に溶け出します。豚汁などで、まるごといただいちゃいましょう。

次回

次回は、脂溶性因子であるビタミンEとK、そしてのこりのビタミンB群の発見の歴史をさらっとみていきたいと思います。

参考図書
「Harper’s Illustrated Biochemistry 30th Edition」
「栄養学の歴史」 Walter Gratzer著 水上茂樹訳(2008年)
「栄養学を拓いた巨人たち」 杉晴夫著(2013年)

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