学問所通信 特集コーナー
第36回 反芻動物の栄養生理学 その3
前回は反芻動物(主に牛)の歯並びや唾液の成分などについて学んできました。
今回は肝心要な「胃袋」について説明していきたいと思います。
人間の胃はひとつしかありません。
人間の胃は酸性です。
空腹時にはpH2程度とかなりの酸性度があります。
食物についてる細菌、菌類、寄生虫などがまず殺菌されます。
そして食べ物とまざり合いながら、酸性度はpH4~5に下がります。
嚥下された食物に含まれるタンパク質などが消化酵素(ペプシン)によって分解され、どろどろの状態になります。
※pH7が中性です。これ以上数字が大きくなるとアルカリ性になります。
どろどろにたった状態を糜粥(びじゅく)といいます。
これが胃と十二指腸の境目にある幽門部にとどくと、胃酸の分泌は少なくなります。
そして十二指腸にはいった酸性の糜粥は膵臓の膵液により中和されます。
ここからは膵臓による膵液の消化酵素による分解が始まります。
そして小腸、大腸へと運ばれ、体内に吸収されることになります。
それでは反芻動物の胃袋ではどのように食べ物は消化されているのでしょうか。
前回で述べた通り、牛には巨大な胃袋(第一胃)とそれにくっつくような形で第二~四胃まであります。第四胃からは人間と同じように十二指腸→小腸→大腸と続き、不要になったものを肛門から排泄します。
図1:牛の胃袋
それでは、炭水化物とタンパク質がどのように消化・吸収され、エネルギーとなるのか見ていきたいと思います。
牧草肥育牛の場合
炭水化物の消化・吸収
第一胃(ルーメン)は無酸素状態で微生物が多く存在しています。
そして、アルカリ性の唾液が流れ込むことで、酸性に傾きすぎるのを防いでいます。
微生物が働きやすいpHが保たれているのですね。
口腔内で細かく砕かれた牧草の植物性繊維(セルロース、ヘミセルロースなどの構造性炭水化物)は、
微生物によって
「揮発性脂肪酸(VFA,Volatile Fatty Acid)」
になります。
この過程を微生物発酵といいます。
このため、ルーメンは「巨大な発酵タンク」と例えられます。
VFAの主な種類としては
・酢酸
・プロピオン酸
・酪酸
があります。
これら3つの脂肪酸は短鎖脂肪酸(SCFA, Short-Chain Fatty Acid)に分類されます。
脂肪酸は炭素数に応じて、短鎖、中鎖、長鎖脂肪酸と分類されるのを覚えていますか?
以前話題になったココナッツオイルの主成分は中鎖脂肪酸でしたね。
私たちの皮下脂肪や内臓脂肪のほとんどが、長鎖脂肪酸です。
VFAは「揮発性」という名のとおり、蒸発しやすいという性質があります。
これは、「エネルギーとして利用しやすい」と読み替えることもできます。
炭素数が2個の脂肪酸です。
肝臓に届き、エネルギー源としても利用されます。また乳牛においては、乳脂肪の基となります。
炭素数が3個の脂肪酸です。
プロピオン酸の多くは肝臓で糖新生に利用されます。反芻動物の血糖値はこの
糖新生によってまかなわれます。
糖質を食べる必要がないんですね。
乳牛においてはこれは、乳糖のもとになります。
炭素数が4個の脂肪酸です。
酪酸は反芻動物の胃の粘膜で、β-ヒドロキシ酪酸に変換されます。
この名前覚えていますか?
そう、ケトン体ですね。
ケトン体は脳や筋肉のエネルギーになります。しかも利用効率がとてもいいんですね。
これらのVFAを牛はルーメン壁から吸収して、血液にのせて全身の組織に運び、エネルギーとして利用します。
実にエネルギーの70%ほどがこのルーメンで産生されたVFAであると考えられているのです。
つまり草食動物である牛は、腸内細菌叢との共生により、本来消化できない牧草の繊維を
エネルギーや体の組織に変えているわけです。
しかも本来食べるべきものを食べていることで、病気にもほとんどかからないのです。
タンパク質の消化・吸収
牧草の中の(わずかな)タンパク質はアンモニアに分解されて、
それを微生物が質の高いタンパク質に変換します。
これをルーメン微生物タンパク質とよびます。
タンパク質はアミノ酸まで分解され、小腸で吸収されます。
私たちと同じように、エネルギーや体づくりに使われます。
ちなみに微生物自体が死ぬと、消化酵素によりバラバラに分解されます。
そしてその微生物がもつタンパク質はアミノ酸まで分解されます。
そのアミノ酸は当然、牛の消化管から吸収され、利用されるんですね。
また微生物が利用しきれなかったアンモニアも、胃壁や腸から再吸収され、
唾液として再分泌することで、再度、第一胃に戻して利用します。
すごい仕組みですね。
乳牛においては、タンパク質はもちろん、カゼインタンパク質などの乳タンパク質の基となります。
穀物肥育牛の場合
炭水化物の消化・吸収
穀物やイモ類の主成分であるデンプン(構造性炭水化物 )も第一胃にて微生物発酵を受けます。
これはセルロースなどを発酵してVFAを産出していた微生物とは異なる微生物です。
セルロースを分解していた微生物を「セルロース分解菌」と呼びます。酸性に弱い。
デンプンを分解する微生物を「デンプン分解菌」と呼びます。酸性に強い。
このほかにもいろいろな微生物がいますが、主なものはこの二つです。
デンプンのほとんどは、デンプン分解菌によってプロピオン酸となります。
和牛霜降りなどの濃厚穀物肥育で、プロピオン酸が過度に生産されると、胃が酸性に傾きます(pH5.5以下)。
こうなると、酸性の環境に弱いセルロース分解菌は胃の中に存在できなくなってしまいます。
肝心な牧草をエネルギーに変えることができなくなるのです。
また乳酸(D-乳酸)が過剰発酵され、ルーメンがさらに酸性に傾きます。
「アシドーシス」と呼ばれる症状がでてしまいます。
栄養障害などが起き、そこからまた様々な病気を引き起こす可能性が高くなります。
そして治療目的で抗生物質を投与すれば、微生物はそのバランスを崩してしまい、さらに穀物を
摂取し続けるしかなくなります。
するとどうなるでしょう。
穀物は微生物によって発酵されることなく、十二指腸を通過します。
デンプンはグルコースまで加水分解され、小腸で吸収されるようになります。
牧草肥育で育った牛は、小腸でのグルコース吸収能力(SGLT1が不活性化され、遺伝子発現が消失)が退化しているのです。
グルコースもすべてルーメン微生物によって利用され、小腸まで届きません。必要ないのですね。
ですが、穀物肥育の場合は、小腸にまでグルコースが流れてくるので、この能力が復活します。
こうなると、過剰なグルコースが体内に取り込まれることになってしまいますね。
こうすると肉には霜降りが入りそして大きくなります。ミルクは脂肪分が増し濃厚になります。
いわゆる一般的な「おいしいお肉と牛乳」になるのです。
ですが血糖値が高い状態が続けば、病気にもかかりやすくなります。
(糖尿病性)ケトーシス、脂肪肝、難産などの病気になります。
アシドーシスとともに「糖尿病性ケトアシドーシス」が起きれば、生命の危機です。
つまり霜降り牛肉とは「病気とおいしさ」の中間点なんですね。
※これは糖質制限を実施している方がなる「ケトーシス」とはまったくことなる症状です。
ケトーシスは「ケトン体」のみの数値が高く、血糖値は低いのです。
ケトアシドーシスは「ケトン体値」も「血糖値」もともに高いときになる深刻な症状です。
タンパク質の消化・吸収
タンパク質の消化・吸収については、牧草肥育の牛のものと大きな違いはありません。
ただし、微生物バランスが崩れていれば、腸内細菌によってタンパク質が十分に
生成されているとは考えにくいですね。
そもそも、タンパク質を作ってくれる微生物の増殖速度は遅いといわれています。
いいことないですね。
第二胃~第四胃の役割
第二胃(通称ハチノス)、や第三胃(通称センマイ)は第一胃のサポートをしています。
第四胃(通称ギアラ)になってはじめて、私たちの胃のような「胃液」が分泌されます。
そのため、第四胃は胃液でべたべたしています。
第一胃で微生物発酵をうけた残りかすは、第二胃、第三胃で選別され、あるものは、第一胃へ
押し戻され、問題ないものは第四胃へとすすみ最終的な消化をうけ、十二指腸へ運ばれます。
子牛の胃袋は牧草を反芻しながら消化するほど大きく発達していません。
子牛は主にミルク(母乳であれ飼料用乳であれ)で育ちます。
ミルクは液体です。小さな胃袋では流れすぎていってしまいます。
現に子牛が飲んだミルクは第一胃~第三胃を通り越して、第四胃まで流れていってしまいます。
これでは消化も吸収もおぼつきません。
そこで第四胃ではものすごいことが起きます。
「凝集」という現象が起きるんですね。
水っぽかったミルクが、一瞬で豆腐(カード)状になります。
第四胃では、レンネットという消化液が分泌されます。
このレンネットには
キモシン 約90%
ペプシン 約10%
が含まれています。
ペプシンはタンパク質分解酵素でしたね。
キモシンがミルクを一瞬で凝固します。
一瞬です(笑)
カード状のミルクをゆっくり分解して、小腸で栄養素を吸収します。
このキモシンはチーズを液体から個体に凝集するときにも使われています。
キモシンは子牛が成長して牧草を食べるようになると、分泌されなくなります。
その代わり、タンパク質分解酵素であるペプシンが多くなってきます。
面白いですね。
じつは子牛の第四胃というのは「レンネット」と呼ばれ、本格的なチーズ作りには
かかせない素材なのです。
飼料と月齢の違いが内臓に及ぼす影響
まずは写真を見てください。
牧草のみで育てた牛の内臓は、胃袋、腸ともにとてもきれいですね。月齢とともにだんだん色が薄くなってはきていますが。
ほとんど臭みがなく、汚れもないため、洗うのがとても楽です。
穀物肥育をした牛の内臓は、色が黒ずんできます。またにおいもかなりきついです。写真の小腸はきれいですが、においが若干あります。
肉屋さんがホルモンを洗うのが大変だ!とよくいいますが、穀物肥育で内臓が汚れてしまうからなんですね。
牧草で育った牛の第一胃はとても大きいです。 これに対して、穀物で育った牛の第一胃はほんとうに小さいです。
第一胃が発酵タンクとしての役割を果たしていなかったことを物語っていますね。
そして、胃液を分泌する第四胃は、微生物発酵ができていない穀物飼育の牛で大きくなっています。
第四胃は別名「赤センマイ」と呼ばれるほど、きれいな赤色をしているのですが、穀物肥育牛のそれは、あまりいい色をしていません。
第四胃から小腸・大腸は下部消化管となります。
これらについては次回詳しくみていきたいと思います。
まとめ
牛もヒトも哺乳類。同じような生理学的特徴をもっています。
牛とヒトで決定的に違うのは胃袋の形状と機能です。
牛には胃が4つあります。そこでは「微生物発酵」が行われています。 嫌気性でアルカリ性の環境化で微生物発酵により脂肪酸やタンパク質などを生成します。その脂肪酸(短鎖)は胃壁から吸収され、全身のエネルギーに利用されるのです。
微生物は植物の細胞壁であるセルロースをグルコースに変え、それを脂肪酸やタンパク質に変えているのですね。
この微生物発酵は第一胃~第三胃で行われ、微生物が利用できない大きなものはいったん口にもどされかみ砕かれます。これが反芻ですね。
実は第一胃~第三胃はヒトで言うところの食道が発達したもののようです。牧草をたべ、エネルギーに変える行為を食道でやっているとおもうとすごいですよね。ヒトはここまでできません。セルロースに覆われた食品が本当にヒトに必要なのかとまで考えてしまいますね。
微生物により生成されたタンパク質は微生物などとともに第四胃に運び込まれ、そこでようやく胃酸による消化が行われます。ここからはヒトと似ていますね。
牧草というあまり成績のよくない植物性タンパク質を成績優秀な動物性タンパク質に変えるのですから、すごいですよね。しかも牛は使いきれなかったタンパク質をアンモニアとして再吸収し、唾液に戻して再利用するという機構があります。
ヒトではこんなことできませんよね。
微生物が発酵して生成したグルコースは、この第四胃まで届きません。ほとんどすべてが脂肪酸に変換されて吸収されてしまっているからです。 牧草のみで育てた牛は小腸でのグルコース吸収能力が退化します。
もし牛を穀物で育てたらどうなるか。穀物のデンプンは「デンプン分解菌」がグルコース→プロピオン酸に変換します。このプロピオン酸が過剰になり、胃が酸性に傾きます。するとセルロースを分解していた「セルロース分解菌」は死滅していまいます。これでは牧草をエネルギーに変えることができなくなりますね。困りました。こうなると乳酸も過剰発酵されだし、牛は「アシドーシス」になります。
微生物発酵だけではデンプンの処理が間に合わないと、次々に第四胃に送られ、小腸で吸収されます。デンプンは加水分解されグルコースとなって吸収されます。、穀物肥育の牛は小腸でのグルコース吸収能力が復活してしまうのです。これが行き過ぎ血糖値が高い状態が続くと、牛はさまざまな病気にかかりやすくなります。抗生物質で症状は緩和できても病気との闘いは続きます。究極は「糖尿病性ケトアシドーシス」になります。畜産農家さんはこれを「ケトーシス」と呼びますが、本来はケトアシドーシスと呼ぶべき病気です。怖いですね。
ですが過剰なグルコースが、病気をもたらしやすいというのは牛もヒトも同じなんですね。
なぜ畜産農家は牧草で牛を育てず、穀物で牛を肥育するのでしょうか。 それは「霜降りを入れて牛を太らせる」ためです。
霜降り肉は半分脂です。ですがお肉が柔らかくなり、多くの消費者に喜ばれています。
病気との瀬戸際ですが。
牛は牧草だけを食べて育つ限り(塩は舐めますが)、ほとんど病気をしません。血糖値が低くかつ栄養満点だからです。しかも、その肉はヒトにとって栄養満点になります。
私たちには残念ながら微生物発酵タンクはありません。
口で食物をよく噛んで、それを胃で消化したものを腸で吸収してエネルギーに変えます。
グルコースが多ければ血糖値があがります。
血糖値を直接的にあげるのは糖質だけです。
血糖値を上げないためにはどうするか。
ご存知の通り、ヒトはグルコースを摂取しなくても低血糖になることはなくケトン体ー脂肪酸で健康にいきていけます。
ヒトとしてヒトらしく生きるか。濃厚穀物肥育の家畜のように生きるか。
私たちは何を食べるべきかよく考えないといけないですね。
参考図書
「反芻動物の栄養生理学」 佐々木康之監修 小原嘉昭編
「ハワードの有機農業」 アルバート・ハワード著
「SALAD BAR BEEF」 Joel Salatin
「肉用牛新飼料資源の特徴と給与」 木村信熙・野中和久監修
「大学生物学の教科書」 D・サダヴァ著
「生命、エネルギー、進化」 ニック・レーン著
「牛乳とタマゴの科学」 酒井仙吉著
「チーズの科学」 斎藤忠夫著
「アミノ酸の科学」 櫻庭雅文著